あおり運転!殺人判決18年。車は凶器!運転者のモラルとは?

最近、「あおり運転」で引き起こされた悲惨な死亡事故の報道が最近多い。

運転者はどんな人なのか誰もわからない。

このような危険運転はずっと前からあったのだ。

高速での夫婦が亡くなった事件で世間の関心を集めることになった。

この事件の運転者は粗暴な男で、何件も同様の事案が挙げられていた。


そもそも動く凶器となる車を「性格に問題のある人物」が運転するのであるから、避けようもなく恐怖しかないのである。

ルールもモラルもこの運転者にはないのだ。報道で見るこの男に反省の色はまったくといっていいほど見ることも感じることも出来ない。


二度と車を運転しないように出来るものならしてもらいたい。

しかし、こういう運転者は法改正や新法が作られても、隠れてでも運転するのに違いない。

決まりを守れない人間には法の力は及ばないのではないか。

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ドラレコ必須、法令化なるか?義務化なら、助成制度はあるのか?

ドラレコは付いていて当り前の時代になっている。

タクシーにはほとんど装備してある。運送業のトラックなどはほぼ100%の装着率である。

事故や何らかのトラブルに対処する為にはドラレコは必要である。


営業車は勿論だが、一般車も装着している車が多くなっている。

新車購入の際にはカーナビ、ドラレコは必須装備になっている。

職業運転者を抱える企業も負担が大変ではあるが、何よりも安心を補償出来る。

しかし、一般には付けたくても安い物ではないだけに、金銭的な問題がある。安全と安心はお金にはかえられないのだが。


交通法で法令化されるのか?

助成制度が出来るのか?

シートベルトと同様に車には標準装備になれば問題は解決するのだろうか?

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危険運転厳罰に!体のキズなくも精神的なキズを負う事故なのだ!

あおり、幅寄せ、パッシング、過度のクラクションなどされたら「なぜ?何もしていないのに?どうして?」運転者はそれだけで恐怖に陥る。

逮捕された運転者は一応に口を揃えて言うのである。

「そんなことはしていません。」「そんな暴言も吐いてはいません。」そんな時ドラレコが付いていると証拠として実証出来る。


最近は自動車保険にドラレコが附属していて万が一の時に加入運転者の力になってくれる保険会社も出て来ている。

危険運転をする運転者に共通して言えるのは、「短気であること、自分の不満やうさばらしで非常識な行為の区別がつかない人間であること、普段から粗暴な言動や行動が多いこと。」だ。

そのような運転者から恐ろしい思いをし、精神的に「ケガ」を負うのです。

天災の様に危険運転を被った被害者は「心のキズ」を負うのである。

それに関して、現時点では法的に何も補償も守られることもないのだ。

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危険運転!どうしたら被害者にも加害者にもならずにいられるのか

車を運転するのは人間である。正しいルールとマナーをもって運転するのは当り前である。


しかし、それが出来ない運転者が様々な問題のある運転をする。

誰の力でも法でも解決出来ることではない。

「自分本位になってはいないか。自分勝手になっていないか。感情のおもうままに運転してはいないか。」

これらを冷静に考えることが出来る人になってもらえれば、相手を思いやる気持ちを持って運転することが出来ないのなら車は運転してはいけないのではないか。

「自分がされて嫌な事は他人にもしてはいけない。」

小さな子どもに言い含めるような事を運転者に今更言って聞かせる事は無理なことである。

乗り方を間違えると、車は凶器になる。


報道されている危険運転について「いつ自分もこんな場面に出くわすかもしれない。」と自問自答する機会ではないのだろうか。

自分の事は自分しかわからないのだから、気分がむしゃくしゃしている時、ヤケ気味の時、気持ちが高揚し過ぎてる時などは「運転するにはやめておこう。」と自身をコントロールする事が出来る人であってほしいのである。

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自動運転より、運転適正診断が出来るAI開発は出来ないのか?

飲酒検知が出来る車、某メーカーで開発しているとかしていないとか?それもいいが近い未来は、車が運転者を選ぶ時代になるのかも知れない。


AIの進歩が進んではいるが、表情や語気から区別することが出来る技術は可能か?まだそれは不可能だと思われる。

若い方は知らないかもしれなが、かつて知能を持った車の外国ドラマの「ナイトライダー」をご存知だろうか。

あの時代に「意思を持つ車」という発想をされた作者には脱帽だった。

あれから長い年月が過ぎて21世紀になってもそれは実現していない。


手放しで運転してくれて目的地までいけるのも結構だが、「運転者と意思疎通が出来る車」の出来ることを筆者は熱望する。

危険運転の一つでもある、「高齢者の運転者による事故」については、時代を映す事案である。

逆走、アクセルの踏み間違い、車道以外の走行(歩道や線路)の走行などがなんと多いことか。

運転免許証は誰にでも平等に取得出来る。


しかし、免許証の返上も誰でも出来る勇気を持ってほしい。

「まだ、ちゃんと運転出来る。」「間違う事はないだろうと思った。」事故を起こし加害者となった高齢者の運転者の人は同じ言葉をいうそうだ。

「危険運転」は思い込みと自分勝手な行動から起きるのである。

あおり、幅寄せなども同じだ。高齢者だからとか若いからとか年齢に関係ないのだ。

すべての運転者が「責任ある運転」をすれば防げるのではないだろうか。

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