吉田一郎さいたま市議(無所属)が、2018年9月定例会(10月19日)最終日の本会議での発言。
条例改正案(障害者の医療費助成に所得制限を設ける条例)について賛成討論をした折り、同市議で足の障害で車いすを利用する伝田ひろみ議員(立憲・国民・無所属の会)を示し、「こちらにも年収1354万5000円の車椅子の方がいる。



ブルジョア障害者は所得対象から外して構わない。」などと発言したのである。
「ブルジョア障害者」とはいったいどんな意図で発したのであろうか。
伝田市議は、4歳の頃のポリオの為、四肢に障害が残った。車椅子の市議として福祉などの政策に尽力している4期目の70歳の女性市議である。


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筆者も「ブルジョワ」と言う言葉を使う人が現代社会にいるのだと思ったくらい久々に耳にした。
そもそも「ブルジョア」という言葉は現代社会の日本ではめったに聞かない言葉である。
正しくは「ブルジョワジー」(仏語)というのだが、略してブルジョワと使う。


意味は(中産階級)のことで、日本では「金持ち」の意味で使われる言葉だ。
伝田市議に対して「ブルジョア障害者」とは。
それでは、吉田市議も「ブルジョア市議」ということになるではないのか。



それよりも一般市民の筆者は、さいたま市の市議報酬がこんなに高額だということに驚いたのだが。
吉田市議は考えずに発言していたのであろうか。
ようするに軽口なのだ。
吉田市議の人格を疑う。




「口は災いの元」「人の口に戸は立てられぬ」という言葉もある。


吉田市議は「口は災いの元」という言葉をしらないのであろうか。
55歳にもなる大人が、責任の持てない「言葉遣い」を自制する力も持ち合わせていないのであろうか。
「ブルジョワ障害者は外して構わない。」これに立憲・国民・無所属の会が抗議した。



この本会議の休憩中に新藤信夫議長が吉田市議に厳重注意したというが、学校の先生が生徒に注意する程度の効き目しかないのではないか。
吉田市議が納得しているとは到底思えないのだ。

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後に謝罪したのではあるが、「差別する意図はなかったが、品のない言い方だった」との弁。
議場で意見を述べ、市政の為に働くのが市議ではないのか?人を傷つけたりするような「悪意のある言葉」は言ってはいけないことも解らない人が市議とは情けない。



市議の資質以前に人としてはどうなの?なぜこんな人が当選した?


吉田市議は「軽口悪口の常習者」。
今回の件で、某新聞社の取材に対して「高所得の意味でブルジョアという言葉を使ったが、気を悪くしたなら申し訳ない。」と釈明しているが、本当にそれだけの意味で伝田市議に言ったのであろうか。
障害者の人すべてに差別的な意味はなかったのであろうか。



無神経に言葉を発することが平気な吉田市議自体に問題があるのではないのだろうか。
今年の2月定例会にあっても、市の答弁者に「首つって死ね。」という暴言を吐いたのである。
やくざの喧嘩のような言葉ではないか。


報道を見た時、さいたま市議会の質の低さは吉田市議がもたらしているのだと思った。
厳正であるべき議場内での言葉とは思えない。
もはやヤジでも反論でもない、ただの「軽口バカの暴言」としか言えない。





辞職勧告されていても辞めないでいられるの?強制力はないのか?


今年2月定例会の後に、辞職勧告を受けたのにも拘らず、今回の「ブルジョワ障害者」発言である。
吉田市議のプロフィールを見たが、人相に性格は出るというが、まさしくその通りである。
この口は治らないであろう。


辞職勧告に法的効力はない、辞職勧告されても従わなくてもよい。
辞職勧告は人間のモラルに訴えかけるものであり、この吉田市議には「尋常なモラル」はないものと考えられる。


したがって辞めない、かといって姿勢を正すつもりはない。
「暴言」を吐いても辞めないで「高所得市議」でいられるのだ。
平然と議場に市議としていられる図太い神経の持ち主であるから、辞職することはありえない。



「辞職勧告」効力なし。「暴言・失言」謝罪すれば済んでしまうの?


人間性を問われていても、吉田市議には効き目はないのだ。
選挙で選ばれて、支持する市民がいたから市議でいるのである。
公職についている人は公職にあるまじき事をした場合にこの「辞職勧告」が出されるのだが、吉田市議は「暴言」は公職にあるまじき行為とは思っていないのであろう。


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心から謝罪もしていないし、二度と厳重注意を受ける様な発言はしないでいようと、本心から思っていない。
というか「暴言」の区別もつかない、非常識な人格の持ち主だと言うことだ。
このような考えの人を投票させてはいけない。



次回の選挙で当選するのであれば、さいたま市民の人間性も疑われるのである。
市議のなり手がいないのか?高額所得者になりたいだけで市議になる人しかいないのか?昨今はどのような選挙運動で、この候補者の中味をどのくらい知り得て、票を投ずるに至るのか不可解である。


信用して票を投じたのに、当選したら仕事はしない、着服や偽造領収書など悪さをする人も多い。
議員の質の低下は本人だけの責任ではないのだ。
有権者にも責任はある。


大切な票を投じる人を見極める力をつけなければならないのだ。
今回の吉田市議の件で、さいたま市議会、しいてはさいたま市にマイナスになるような市議は必要なのですか?これこそ民意を問うということである。